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ANOUK Watch & Jewelry アンティーク・ヴィンテージのジュエリーと時計、その他趣味のブログです。

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アンティーク~ヴィンテージジュエリー 各年代の特徴まとめ

アンティーク・ヴィンテージジュエリーを見ていく上で、面白いことは各年代ごとに目まぐるしく変わるデザインの移り変わりです。
どの年代もそれぞれの良さがあり、その年代に限ったコレクションをしている方も珍しくありません。
以下、簡単にデザインの特徴と該当年代のまとめとなります。


ジョージアン
1717年-1837年



この時代のジュエリーは非常に希少なもので、そして必ずハンドメイド制作です。典型的なジョージアン時代のジュエリーでは、自然を模したデザインや貴石が含まれています。これらの作品の多くは、入植者やトレーダーとともに北アメリカにまで運ばれた後同じデザインのものが製作されたため、北米の地でも受け継がれています。



初期・ビクトリアン・ロマンティック
1837年-1855年



この時代のジュエリーにもまた、素晴らしい金のエッチング、ダイヤモンド、色石に加えて、自然のデザインが数多く含まれています。良く目にする製品としてロケットやブローチなどがあります。


中期・ビクトリアン・グランド
1856年-1880年

この時代は、政治的なイベントと地味な感性時代の反映として、カラフルなデザインはほとんど無く、暗くがっしりした印象の宝石を使用したジュエリーデザインが特徴的です。代表的な宝石は、ジェット、アメジスト、ガーネット、オニキスなどがあります。


後期・ビクトリアン・エステティック
1885年-1900年

この時代、世界的なデザインの流動が巻き起こり、グローバルな影響を受けた色やデザインの再導入がおこりました。華やかな帽子ピン、星や三日月のペンダントが典型的です。ブローチで使用される人気の宝石は、サファイア、ダイヤモンド、およびペリドットが含まれます。


アーツ・アンド・クラフツ(美術工芸)
1894年-1923年



国際アーツ・アンド・クラフツ運動によって、ジュエリーデザイン・手工芸のハンドメイド制作や、このころの産業革命によるより有機的なクラフトマンシップへの回帰がみられました。製造作業の多くは、単純なデザインや色が使用されたり、ユニークな自然の形状を生かしたあえてノーカット石を使用するデザインなどが好まれました。


エドワーディアン
1901年-1915年



この期間のジュエリーは、オーバー・ザ・トップのデザインや、複雑に配置された高価な宝石(ダイヤモンド、ルビー、エメラルドなど)の再導入など、古典的なアイデアへの回帰がみられます。


アールヌーボー
1895年-1915年



アールヌーボー様式は最盛期の間、ジュエリーに限らず、芸術形態の全てに影響を与えました。レディースジュエリーにおいては、エドワーディアン・アーティストが直接的で華やかなスタイルを作り上げたのとは対照的に、アールヌーボー・アーティストはナチュラルな曲線を用いた自然を取り入れたデザインの復活を目指しました。


アールデコ
1915-1935



アールデコ調のスタイルになるとより具象と抽象を融合するデザインが多数を占めていき、ヨーロッパとアメリカにわたる初期のインスタンスを示しています。シルバーを用いたアールデコ調のジュエリーは、はるかに小さい規模ではありますが、まるでエンパイアステートビルの同様のデザインを彷彿とさせます。キュービズム技術からの幾何学的な形やデザインは、多くの場合、この期間のジュエリーから見られます。ネイティブアメリカン、アフリカ系、オリエンタル、イスラムのモチーフも目立ちます。


レトロ
1945年-1960年



この宝石の例としては、通常、この時代のハリウッド映画の中で描かれるライフスタイルのリフレクションとなっています。製品は一斉生産されることがほとんどでしたが、ノックオフとジェネリック品だけではなく、オリジナルのハンドメイドクラフト作品も数多く作られました。巨大なブレスレット、腕輪、カクテルリング、時計、およびチャームブレスレットは、レトロスタイルの典型的な例です。


以上、各年代ごとの特徴のまとめとなります。ジュエリーを選ぶ際にデザインの上でもまた面白さが見てとれるのではないでしょうか。


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アーツ・アンド・クラフツ



19世紀後半の産業革命に対抗する形で始まった、1880年から1920年にほぼ米国と英国を席巻したアーツ・アンド・クラフツ運動についてご存知の方も多いと思います。思想家、詩人、アーティスト、デザイナーにより引き起こされた産業革命に反発するこのムーブメントは、クラフトマンシップの重要さを認識し、ハンドメイド作品の美しさを取り戻す、自然からインスパイアされたシンプルなデザインメソッドを目指したものです。

イギリスの美術評論家ジョン・ラスキンは、実際には数十年も先にムーブメントについて考えています。彼は当時のビクトリア朝デザインの退廃を思慮し、職人の幸せを考え、労働条件の改善を主張しました。パターン設計者ウィリアム・モリスは、1861年にモリス・マーシャル・フォークナー・アンド・カンパニーを設立したときに、実際にラスキンのセオリーに基づいた運営をしています。



さらにロンドンのイーストエンドのスラム街で、チャールズ・ロバート・ジアシュビーは、美術工芸の理想を貫くために1888年に手工芸職人ギルドを設立しました。その目標は、公正な賃金、良好な労働条件と協力的な雰囲気の中で、家具、金属製品や宝石類を製造することでした。当時の産業革命下、労働者は低賃金、長時間労働に苦しめられ、手の込んだ手工芸品や職人の技を生かした素晴らしい作品よりも、効率重視の大量生産に重きを置かれていました。イギリスは産業革命により大きな富がもたらされた半面、アート、手工芸、職人軽視の末の技術退廃という危機に直面していたのです。



当時のほとんどの英国のアーティストがそこまでこのムーブメントの社会的側面を重視することはありませんでした。しかしその代わりに、彼らアーティスト、職人達は自分自身が満足する家具、陶磁器、金属細工、宝石といった様々なプロダクトを作り出し、1888年にアーツ・アンド・クラフツをこのムーブメントの正式名称としたのです。

産業革命以降現在に至るまで、工場での大量生産製品は安価で一定した品質を保つという素晴らしい恩恵を私たちにもたらしたことは事実ですが、それに伴い失われる美しい伝統工芸や職人技術があります。働き方やライフスタイルにも言及した100年以上前のこの運動が、私たちに教えてくれるものはたいへん大きいといえます。

アールデコ~モダンスタイルとも呼ばれる近代芸術

アールデコとは、1920年代に起源し、1930年代の西ヨーロッパ、米国の主要なスタイルへと発展した装飾芸術と建築の1920から1922年の動きをいいます。その名前は、スタイルが最初に展示されていた1925年にパリで開催された「the Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels Modernes(国際装飾美術博覧会)」から来ています。




当時、アールデコ調のデザインが表現モダニズムにおける流行になりました。アールデコの製品や作品は、個別に制作されたオーダーメードの高級品や大量生産用品を含め、いずれの場合も、富と洗練さを象徴する洗練されたエレガンスを追求したものを目指しています。

スタイルの際立った特徴は、多くの場合、「合理化」したシンプルでクリーンな形状です。
具象的なフォームや、幾何学的または定型化されている装飾デザインが見られます。そして非常に多様な人工物質(プラスチック、特にベークライト、ビタガラスおよびコンクリート)が含まれ、高価な材料や自然のもの(ヒスイ、銀、象牙、黒曜石、クロム、および水晶)を加えたものも多くあります。



アールデコ調のオブジェクトは、近代化された機械で大量生産されている工業製品もあり、そのために作られたオブジェクトの設計は相対的なシンプルさ、平面性や対称性、デザイン要素の不変的な繰り返しを見ることもあります。

アールデコ調の造形に影響を与えたのはアールヌーボー、バウハウス、キュービズムと、セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュスでした。装飾的なアイデアは、ネイティブ・アメリカンやエジプト、さらには古代美術からだけでなく、自然界からも来ています。特徴的なモチーフとしては、ヌード女性像、動物、葉、そして太陽の光まで含まれています。



優れたアールデコ調のクリエイターの多くは、個人細工や限定版のアイテムをデザインしました。アールデコの代表的、歴史的なクリエイターをご紹介します。
まず家具デザイナーのジャック・リュールマンとモーリス・デュフレーヌ。建築家エリエル・サーリネン。金属細工師ジャン・ピュイフォルカ。ガラスとジュエリーデザイナーのルネ・ラリック。ファッションデザイナーのエルテ。ジュエリーアーティストのレイモンド・テンプラー、H.G.マーフィ、 そして ウィウェン・ニルソン。彫刻家D・Hチパルス。ファッションデザイナーのポール・ポワレと、グラフィックアーティストのエドワード・マクナイトクーファーは、その素晴らしい作品により、多くの人々にアールデコデザインの真髄を伝えます。



1929年~1940年の間に建てられたニューヨークのロックフェラーセンターでは、特にドナルド・デスキーによるインテリアデザインが話題となりました。
ウィリアム・ヴァン・アレンによるクライスラービル、シュリーヴ、ラム、ハーモンによるエンパイア・ステート・ビルは、アールデコ調デザインの最も有名な記念碑ともいえるものです。 1930年代のスタイルは、アールデコ歴史地区として知られているエリア(マイアミ、フロリダ州のサウスビーチ)に歴史的遺産として後世に引き継がれています。

アールデコスタイルは、第二次世界大戦中にはファッションの流行を通り過ぎた感がありますが、1960年代後半にアールデコ調のデザインに新たな関心が高まりました。そしてこの21世紀においても、アールデコの装飾アートとファッション、ジュエリーのデザインなどの分野におけるインスピレーションの源であり続けているのです。




アール・ヌーボー~古典スタイルへの反抗から生まれた新しい芸術

1800年代から1900年代にかけて多くの芸術が生まれましたが、その中でもアール・ヌーヴォーが19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパを席巻し、その後1930年代まで続くアール・デコへと移行します。その芸術的価値は現在でも高い評価とともに認められています。このころまでをアンティークジュエリーと呼ぶ場合が多く、世界的に取引されています。

19世紀のヨーロッパの建築や絵画では、「新スタイル(neo-styles)」が主流となっていました。建物、花瓶や家具はゴシック、バロックといった古典的デザインに設計されていました。




1800年代後半の間に、多くのヨーロッパの芸術家、グラフィックデザイナー、建築家達が、それまでのデザインにおける古典的なアプローチに反抗しはじめました。さらにジョン・ラスキンなどの作家の主導で、機械化・工業化時代に対する批判が起こります。

しかし1890年頃から、このような古典的なスタイルに疲れていた多くの芸術家や職人が、フランス語でアール・ヌーボー(Art Nouveau)、またはドイツでユーゲントシュティル(Jugendstil)と呼ばれる全く新しい芸術スタイルを考案したのです。これは、非対称性でしなやかなラインをもち、動物や花、植物由来の装飾有機的なフォルムが特徴です。



前世紀の変わり目に、アール・ヌーヴォーは様々な分野で、西ヨーロッパの国々での建築や絵画、手工芸などのデザインを席巻しました。ベルギーの建築家ビクターオルタやアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデのような代表的なアールヌーヴォー建築家は、このスタイルで数多くの建物を設計しました。オランダ人アーティストのヤン・トーロップと、フランス人のアンリ・ド・トゥールーズ・ロートレックは、そのグラフィックアートでその流れのフォームを組み込みます。

多くの場合、グスタフ・クリムトの絵画やエッフェル塔のアーチに見られるように、幾何学的形状、特に円弧、放物線、および半円を組み合わせた自然が様式化された形態がそのスタイルの特徴となっています。

また、ラリックのジュエリーやティファニーランプによって見ることができるように、昆虫や雑草、さらには架空の妖精のように、それまで見過ごされていた自然の造形を様々な形でデザインに活かしています。彼らは偉大な美しさは自然の中で見つけることができると信じていました。

アールヌーボーの影響は1910年頃から終わりを迎えましたが、現代でもそのファンは多く、多くのアールヌーボー作品や建築物が歴史的遺産として残されています。




How to use for Classic Timepieces~アンティーク時計の扱い方



初めて機械式時計を手にした方、特に女性はその扱い方に戸惑うこともあるのではないでしょうか。

小さく繊細な仕事で、しかもアンティーク品となると、最初はリューズをまわすのも壊してしまわないかと少し恐い気がします。もちろん丁寧に優しく扱うことは第一ですが、コツをつかめば毎日スムーズにアンティーク時計を楽しんでいただけます。


●機械式時計~手巻きと自動巻きについて

機械式時計は手巻きと自動巻きがあり、どちらも使う前にリューズでゼンマイを巻き上げてから使用します。手巻き時計は「ハンド・ワインディング」、自動巻き時計は「オートマティック」とも呼ばれます。
手巻きと自動巻きの違いは、内部のムーブメントにローターと呼ばれる部品です。自動巻きは時計本体が動く(時計をはめた腕が動く)たびにローターが回転し、それによってゼンマイの巻上げを行います。つまり、動かさなければ手巻きと同じく時計は止まってしまいます。すでに止まっている自動巻き時計を使用する前は、手巻きと同じくリューズの巻き上げが必要です。




●時計のリューズの巻き方

女性のアンティーク腕時計を巻くとき、まず左手で時計を保持し、リューズに右手の人差し指と親指を使用します。その状態で実際にリューズをまわしてみたとき、前方にまわしていくのが正しい巻く方向です。
静かな環境で時計に耳を近づけると、ゼンマイを巻きあげる「カチカチカチ」という小さな音が聞こえてきます。
巻上げは途中で止めず最後まで巻きあげましょう。初めての場合は巻き終わりがつかめずゼンマイを壊してしまうのではと心配になりますが、ゆっくり巻いていくと最後に少しリューズがはね戻るような抵抗があります。この時も、時計に耳を近づけてカチカチという音を聞きながら巻いていくと、巻き終わりは音が聞こえなくなりますのでわかりやすいかと思います。


●リューズを巻きあげる頻度

アンティーク時計はたいへんデリケートな商品で、現代の時計のように頻繁な使用に適応しておりません。あまり巻上げ回数が多いと(例えば一日に何度も巻きあげる等)、内部を傷めてしまうことがあります。できましたら毎日の使用は控えていただき、週に数回が適度な使用回数かと思います。使用する曜日(火曜と金曜など)を決めて、その日の朝に巻くのが良いでしょう。
動作時間は、女性用腕時計の場合、一回巻きあげると約18時間から36時間動いています。
時々、巻きあげたにもかかわらず、止まったまま動き出さない場合があります。そのような場合は故障を疑う前に、軽く時計本体を振ってみてください。それで動き出せば問題ない場合がほとんどです。


●時刻の合わせ方

時刻合わせは、リューズを一段引っ張りあげ、時計回り方向に針を回して時刻を合わせます。クロノグラフなどの複雑な機械を除き、反対側にも回せますが、できれば時計回り方向に回していくのが良いでしょう。
リューズを引っ張るときはリューズが抜けてしまう恐れがありますので、あまり強い力で引っ張らないように、優しく扱いましょう。
カレンダー付きの時計の場合は、リューズが二段引きとなり、主に一段目がカレンダー、二段目が時間の調整になっています。カレンダーを合わせるときは、まず時計を6時の位置に合わせてから、カレンダーを合わせます。その後、時計を正確な時刻に合わせ直します。カレンダーの日付が変わる時間の前後数時間にカレンダーを合わせようとすると負担がかかるので、必ず6時の位置でカレンダーを調整してください。


●機械式時計の日差について

一般に言う日差とは、腕時計のリューズを完全に巻き上げた後、平置きの状態で24時間の誤差を計測するものです。厳密には様々な角度から5姿勢測定し、一週間以上かけて記録されます。何日もかけるのは、日々の誤差にもばらつきが出る場合があるからです。
通常機械式の場合は、±30秒以内ならかなり精度が良く、程度の良い時計でしょう。アンティークやヴィンテージですと年代や状態によって3~5分以内を目安とします。
日差が出てしまうのは、使用状況や(気温・湿度、姿勢、巻上げ具合など)、地球の重力や部品同士の摩擦等が時計の動作に影響を与えるためです。重力に従って下に(地面に)向かって針が進んでいる時は早く、逆は遅くなります。また、ゼンマイは金属でできていますので気温に敏感に左右され、真夏や真冬など極端に寒暖の差が激しい場合は精度が落ちることがあります。

アンティークの機械式時計は、どうしてもある程度日差が出てしまいます。毎日時刻を合わせることを楽しめる、そんな方にオーナーとなっていただけますと幸いです。


【お勧め本】アンティーク時計に興味を持ったら読みたい本

女性で、初めてアンティーク時計を手にした方、アンティーク時計に興味をお持ちの方にお勧めの本をご紹介します。



レディースアンティーク時計について書かれた本はほとんどありませんが、この本はとてもわかりやすく、写真を多用し、優しい言葉で初めての方にも分かるよう丁寧に説明されています。
アンティーク時計の魅力が良く伝わる一冊です。

ジュエリーと時計における、アンティークとヴィンテージの年代について

 

アンティークとヴィンテージの年代について


アンティークとは今から100年以上前に造られたものを指して言われるのですが、日本ではそれ以降の品でもアンティークと呼ばれることがあります。

また、品物によってアンティークと呼ばれる年代も違っており、時計などは1940年代から60年代のものも、アンティーク品として取引されています。

時計の場合、腕時計が一般的に出回ったのが1930年代ごろからですので、厳密にアンティークの定義(100年以上前に製造)を当てはめると、現在取引されているほとんどの腕時計がアンティークではなくなってしまいます。そのため、時計に関しては一般にヴィンテージの年代のものでもアンティークの扱いをされています。

アンティークジュエリーは、ひとくくりにはアンティークと言っても、年代やそのデザインによって呼び名が分かれています。

例えば1837年から1900年代初頭にかけての年代をVictorianと呼び、この時代に製造された優美でロマンティックなデザインのものはヴィクトリアンジュエリーと呼ばれています。

コレクターの中にはヴィクトリアンジュエリーだけ等をコレクションされていたり、アールヌーボーに魅せられてしまう方もいます。
一口にアンティークといってもデザインは幅広く、各年代にその時代の空気を反映した秀悦なデザインがそろっています。

アンティークジュエリーに関してはアール・デコの時代の品までをアンティークとして扱うことが多くなっています。
この場合、1930年製造のアール・デコの品だと厳密にはアンティークとはいえなくなりますが、現在取引されている品のほとんどが200年以内の製造となっていること、アール・デコのデザイン的価値からアンティーク扱いとなっています。

ヴィンテージジュエリーは、特に1930年代から70年代のものを指して言われることが多いのですが、80年代を含む場合もあります。

ジュエリーにおけるアンティークとヴィンテージの線ひきは人や扱うものによってとても曖昧になっていますが、大まかに言うと海外では主に以下のような年代分けとなっており、当サイトでもこの年代分けで扱っています。


ジュエリーの年代分け

Antique

Georgian   1837-1717年

Victorian, Edwardian   1837-1910 年
Art Nouveau / Art Deco   1895-1935年

Vintage

Retro, Vintage   1930s-1980s


Modern

Modern   1990s以降



さらに詳しい年代分けと、その時代のジュエリーの特徴については、こちらのページにまとめましたので、アンティーク品を選ぶ際にご参考にされてください。



エステートジュエリーと各年代による分類について




エステートセールは欧米でよく行われているもので、故人となった資産家の家族や親族による自宅で行われる遺品販売です。


そこで販売される動産は格安であったり、時にはタダ同然である場合もあり、不動産屋、質屋や古物商だけではなく、一般人も多くの人が訪れます。

元の持ち主が以前に所有していたジュエリーは、現在の買い手がエステートセールでそれを取得しなかった場合でも、全てエステートジュエリーとして分類されます。

エステートセールでは良質な保存状態のジュエリーが見つかることも多く、今日出回っているアンティークやヴィンテージの女性のジュエリーのほとんどがエステートジュエリーです。

エステートジュエリーは、通常、それが製造された年代によってさらに細かく分類されています。
一般的な分類については、次回でご紹介します。




アンティークジュエリーのホールマーク

 

アンティークジュエリーに付いているホールマーク(刻印)は、そのアンティーク品が造られた年代、素材の品質、ジュエリーの産地を表しています。そのため、判別の際にはホールマークを調べることがそのアンティークの素性を知る手掛かりとなります。

モーニングジュエリーの場合は亡くなった方の命日が刻まれていることが多いため、さらに詳しく年代の特定ができます。

ホールマークが無いからと言ってそれがすぐに偽物であるとは限りませんが、鑑別において重要であることは確かです。

ホールマークが無い理由は、サイズ直しや修理の際に消失した、デザイン上打てなかった、最初から工房で打たれなかった(税金逃れのため)、摩耗した等の理由があります。
ホールマークが使用されたのは19世紀からですが、19世紀初期にはまだホールマークが打たれていないジュエリーが数多く存在します。

19世紀と20世紀において、イギリス、ベルギー、フランス、オーストリア、ロシアなどヨーロッパの多くの国がで独自のホールマークを持っていました。さらに、例えばイギリスでは、Birmingham、Chester、Londonなど各都市で違う種類のホールマークを使用し、各ジュエリーメーカーもホールマークを打つなど、複数のホールマークが打たれている場合が多く複雑になっています。

アンティークと歴史~なぜアンティークジュエリーはイギリスに多いのか

アンティークジュエリーが作られた時代=世界の文化史と歴史をもっと知れば、アンティークの世界はもっと楽しくなります。

アンティーク品は、一般に100年以上前に製造されたものを指します。100年前と言えば、第一次世界大戦やタイタニック号の沈没といった事件があったころです。
アンティークジュエリーの多くはイギリスにあり、その歴史と関係があります。

ほとんどのアンティークジュエリーは製造100年から200年以内のものです。1800年代から1900年代初頭は貴族に富が集中していた最後の時代で、裕福な貴族や富裕層により様々なジュエリーが作られました。

イギリスでは、産業革命により富を手中に収めた人々が、貴族と肩を並べようとヨーロッパ各地の職人を集め、貴族の持ち物に負けないほどの工芸品を作らせ、それを身につけることで自分たちの存在を誇示していました。

ヨーロッパの他の国を抑え、この時代、世界の覇権を握ったのはイギリスでした。18世紀半ばから19世紀にかけて起こった産業革命、蒸気機関車の発明、さらに多くの植民地による利益がイギリスに富を集中させます。

富のある場所へは人材の流入もおこります。イタリアやフランスをはじめ、ヨーロッパ中の職人がイギリスに集まり、貴族や産業革命で富をなした人々の求めに応じて最高のジュエリーを作り上げたのです。オーストラリアからは金のような大規模な天然資源、アフリカ・アジアの鉱山からはダイヤモンドやルビーといったジュエリー製作に欠かせない素材の多くも、植民地から本国イギリスへ次々に送られて行きました。このころの世界で最も質の良いジュエリーの多くがイギリスで作られています。

そのイギリスも第一次世界大戦により、その覇権がアメリカへと移っていき、それと同じくして富は一般庶民へと広がっていきます。

もう少し前の1700年代後半、パリ条約でイギリスがアメリカの独立を承認しました。アメリカはこの後、20世紀にかけて力を付けていき、その後衰退するイギリスに代わって世界に台頭する大国に成長します。アメリカが力を付けると同時に20世紀以降、特にアールデコのジュエリーはアメリカ製のものが多数を占めるようになるのです。



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